17700kHz Radyo Pilipinas Overseas, DZRP

ハキダメギク

海外からニュースが次々と飛び込んできています。朴槿恵大統領、任期終了前の辞任表明。サッカーのブラジル1部「シャコピエンセ」の選手らが乗った旅客機が28日夜(現地時間)、南米コロンビア山岳地帯に墜落の報道有り。相模原最低最高気温予想4.7/12.4。

これは相模原小山公園近くの道路脇で撮りました。10月23日撮影。ハキダメギク(掃溜菊)ですね。掃溜というのはかわいそうな命名になってしまったものです。

何気なく聴いていたのですが内容に魅かれ、本日の録音とします。ただモニター画面また撮り忘れ。S/Off後のもの、意味ありません。

・放送局 Radyo Pilipinas Overseas, DZRP
・周波数 17700kHz
・言語 English
・送信 Tinang
・距離 2,948km
・出力 250kW
・録音 2016年11月29日12:10~

今回も「The More Fun in the Philippines」という番組を聞いていました。I Love Ilocos Norte という曲から始まり、北イロコス州(Ilocos Norte)に関する話題でした。その中でフィリピンで初めてオリンピックのメダリストになった人の話、そのところを録音しました。

フィリピンでは有名なヒーローのような方のようです。Teófilo Yldefonso, その彼がここ出身。‬以下の2つのオリンピック大会の200m平泳ぎで銅メダルを獲得。
1928年アムステルダム
1932年ロサンゼルス
ちなみに調べて見るとこの2大会とも同じ日本人が優勝しており、日本水泳界が隆盛の時でしたが、日本のライバルになっていたようです。しかし太平洋戦争で彼はアメリカ軍として日本軍とバターン半島で戦い捕虜になったようです。ここで色々諸説あるようでが、悪名高い”Bataan Death March”が出てきました。彼もその捕虜の一人だったのですね。以下のようなナレーションだったと思います。

“During this march,the Japanese officials recognized Yldefonso, for he was a rival at the Olympic. The Japanese tried to save him. But Yldefonso chose to say he was a countryman. He survived the Bataan Death March, but eventualy died later at the Capas Concentration Camp. His remains have never been found. “

特に最後の「遺体は見つかっていない」というところは琴線に触れるものがあります。このような方がいたのを知りました。ともかく、この南国の島で多くの米国、フィリピン、日本人の血が流れた戦争があったことだけは忘れないようにしたいものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください